むぎ茶の資料室

いままで書いてきたものを残していきます。

フェチはうつる

もう3年ほど私に会いに来てくれている子に、今日プレイ後にふと「僕、昔は別に排泄好きじゃなかったし、アナルを犯されたり、女の子の脇や舌も好きじゃなかったんです。なのに、なんでこうなっちゃったんでしょうね」と言われました。心の中で「(ああ確実に私のせいだな)」と思いましたが、事後で疲れていたので「そうなの〜変だねえ」と気の抜けた返答をしてしまいました。

この子は、出会って間もない頃に排泄が好きという私の性癖に非常に興奮し、毎日私に排泄する動画を送ってくれた時期があります。アナルも「ペニバンで男性を犯したい」という私の性癖を受けて、私のおちんちんを受け入れられるようにと、お尻に自分でディルドを突っ込んでオナニーするようになっていきました。

私は基本的に好きな物を誰かと共有できることが大好きです。自分のハマった音楽や映画の良さをすごい熱量で語っては、友達に見て貰って満足していたりします。

プレイ動画を撮ってそれを編集して公開するのもそういうのが好きでやっています。文章を書くことももちろん好きですが、やはり理想のプレイについて語るだけではなく、実際の姿をなるべくそのまま映像で見てもらったほうが、皆さんに伝わりやすいのではないかなと思って、このスタイルに落ち着いています。

最近はプレイ動画だけではなく、自分だけが映っているフェチ動画も撮っています。これは思い立ったらその日にコソコソと準備をして撮っています。

少し話が脱線して申し訳ないのですが、私は女に生まれて本当に良かったなと思っています。世の中に存在しているアダルトコンテンツのほとんどが女性が主役であり、それを見て生まれ育ってきた私は、太ももとお尻とおっぱいが大きな女の子が最高に好きでいます。さらには、皆さんとプレイを重ねてきて、沢山好きなフェチが拡大してきました。不思議な話なんですが、女の子の特定の箇所に興奮している男性と接していると、私も自然とそれが好きになっていきます。

もしかしたらこの話をすると引かれてしまうかもしれませんが、一人でコソコソと撮影している動画も、それを編集中に何度も自分で見返しているうちに「(女の子の足舐めたい)」「(自分の舌がエッチでおまん.こ濡れてきたな…)」って思います。常々何よりも私がシコれるような動画をあげるようにしているので、正しい反応ではあると思うのですが、私は本当に女の身体で生まれてきてよかったなと感じています。

こんな話をすると、「じゃあむぎちゃんは男性の身体やおちんちんに欲情したりはしないの?」と変態くんに聞かれました。確かに男性のおちんちんのことは本気でおもちゃだと思っている節があり、エロいものとしては一切見ていないかもしれません。ただ男性の乳首やおちんちんを虐めると見せてくれる情けない表情や声、さらには私よりも大きな身体でいるのにも関わらず逆らえない様子には大変欲情します。

私は女性に対しては視覚的に興奮し、男性に対してはジェンダー的なギャップで興奮しています。


今日は冒頭で私が男性の性癖を変えていったお話をしましたが、後半は逆に私が男性から影響を受けてフェチが広がっていく話をしました。こんなのは氷山の一角であって、今までのブログでも私とマゾたちがプレイを通じて変わっていく姿をその都度日記に残してきました。

他者の人生に少しでも自分が良い思い出として残ることができるというのは、たとえそれがエッチなことであっても嬉しいものです。

性癖というのは時に傷や刺青よりも人の心に残り、人生に影響を及ぼします。あなたも”むぎ”という人間に、沢山フェチや性癖を刻み込んでいってね。

誰にも言えないような変態なところ、一緒に見せ合いましょう♡

大事なのは否定しないこと

もう誰も咎める人はいないと思うのでハッキリと書きますが、私は高●生の頃に自分の性癖に非常に悩んで、ネット上でSMブログを運営している人にメールをしたことがあります。内容はこれまでの日記で書いたような露出や出産、排泄に関する性的興奮と、SMにも興味を惹かれているというものでした。それに返信はきましたが、要約すると「君の性癖は変です。SMではありません。精神科に行ってください」という冷たいものでした。

成人して初めて参加したSMの交流する場所で自分の性癖について話したときには「その性癖はSなのか、Mなのかはっきりしてください」とか「君は言葉責めが好きなMだね」とその場にいたS男性からカテゴライズされ、違和感を覚えました。

そんな経験から、「私みたいな変な性癖のやつもいるから、他人の安易な言葉で傷ついたり、自分の可能性を狭めないでね。気にせずに君の好きなことを追求してね」という気持ちを込めて最近ブログを書いています。

本来であれば、誰に受け入れられるか、誰に拒否されるかなんて、自分の好きな事の前では二の次にあるはずです。オタク趣味ってそうですよね。

私は自分の性癖について仕事以外で聞かれたらまず初めに「うんこが好きです」と話すようにしています。誰に受け入れられなくてもいいという覚悟で、自分の中でいちばんひどいものを口にしておくかと思っているのですが、それでも分かり合おうとしてくれる人は「どうして好きなのか」とか「どこに興奮するのか」という質問をしてくれます。うんこが好きな女でも受け入れてくれるような優しい世界が変態にはあります。

若いころの私に足りなかったのは、自分の好きなものを言語化する力であり、悲しいことに「他人の好きなことを否定しない」という当たり前のマナーが当時の私が相談した大人たちにはありませんでした。どちらも確立された今の環境では、嫌な思いをすることもなく楽しく過ごすことができています。

自分の性癖が嫌で仕方が無かったり、そのせいで性交渉がうまくいかない人たちが世の中にはたくさんいます。子どもの頃の私も、「私はまともに誰ともセック.スできなくて、そのまま死んでいくんだろうな」と思っていました。性的好奇心こそあれども、誰にも受け入れてもらえない性癖だから、諦めなきゃと常々葛藤していました。

それがこうしてお仕事に繋がり、現在進行形で新しい性癖を開拓させてもらえて、私はすごく幸せです。皆さんから「誰にも言ったことがないのですが」と神妙な面持ちで相談され、思いもよらずに新しい発見をすることもあります。

ぜひ私に今までのあなたのことを教えてね。こんな日記までわざわざ書くような人間ですから、頭ごなしに否定することはまずありません。

そしてもし貴方が誰かに相談されることがあれば、まずは否定せずに聞いてあげてくださいね。

自己研鑽

私は昔からよく自分のおまん/この記録をつけていました。おまん/この柔らかさとか、濡れ方の違いについて、ピルの有無、生理周期によって感じ方の違いを記録をつけて把握していました。また今日は気持ちよくなかったなって日があれば、一体何が原因だったのかについて1か月ぐらい考えていることもあります。オーガズムの深さも常にチェックしています。

これはえっちなことやSMプレイすべてに言えることですが、結局は自己研鑽だと思います。どんなにいい授業をしてくれる予備校に通ったとしても、学力の底上げをしてくれるのは自分で勉強する時間ですよね。それと同じで、いやそれ以上に、人の数だけプレイへの反応がありますから、その人に合ったプレイスタイルをトライアンドエラーで見つけることが大切ではないでしょうか。

自己研鑽の大切さは勿論アナルにも通じます。

どんなに有名な人が提唱する開発方法であっても、結局は自分に合っていないことなんてザラにある世界です。性的なことに関する知識というのは、一般には認識が浸透していないことが多く、商品を販売するために気持ちよさそうな言葉でコーティングされています。正直言って、開発方法や玩具で「絶対イケる~」なんてものはこの世に一つもありません。

だから色んなものを試して、その都度自分の身体の反応について振り返りをしてください。そうすることで謳い文句だけが上手な新しい商品や情報商材に騙されることも無くなります。

性サービスにおける上手な施術をする方は、相手の反応を見るのが上手かったり、色んな身体の反応に対して膨大な対処方法を知っています。もし自己研鑽をしていく中でどうしても越えられない壁や、自分の知識だけではどうしようもなくなったときは、ぜひプロの方に頼ってみてくださいね。そして何度も試して、自分に合う気持ちいいものを沢山見つけていってください。

そうやって性的なことに対して努力できる人というのは、自分の幸せを自分で見つけられる人なので、とても素敵なことだと思っています。私はエロいことに対してストイックでよく周りから「他の人はそこまでしないよ」と言われます。ですが性的な事というのは食事と同等のレベルで人間の生活に欠かせないものです。なので、少しだけ真剣にこだわってみるのもありだとは思いませんか。

お前の(アナルの)オールを任せるな

スパイス

私は素人の頃から、変態プレイやSMをしてきました。物心ついたときからそういうプレイへの憧れがありましたが、成人するまではずっと我慢してきました。それがやっと叶えられるようになったとき、自分でアポを取ってプレイする場所をセッティングし、色んな講習や交流の場所に足を運ぶようになりました。それだけでは足りず、もっと数をこなして大好きなプレイの技術を身につけたかったので、これを職業にすることにしました。

今もその節はあるのですが、私という人間は非常に性的なことに執着していて、快楽主義的でいます。「もっと、もっとヒリつこう」「心が抉られるようなプレイをしよう」「死ぬほど笑って泣いて、もっと一緒にトぼう」そんなことばかりが常に頭の中にあり、他者と自分の境界線が無くなるようなプレイが理想でした。それを純粋に追い求めていた昔の私はまさにプレイジャンキーだったと思います。

突然ですが、みなさんは河川敷などで花火をしたことはありますか。スーパーで買うような花火セットです。その中には打ち上げられる大きな花火もあれば、ねずみ花火のような色物もありましたよね。わざと一本一本になっている花火を束にして一気に火をつけて無駄遣いなんかはしませんでしたか。花火を全部やり切ってしまった後ってなんだか虚しくはありませんでしたか。花火が終わった後って何も残らなくて、焦げた火薬の匂いと共に、水の張られたバケツの中に黒い花火の燃えカスが浮遊しているだけです。

私の経験上、衝動的な欲求に身を任せたプレイもそれによく似ています。やりたいことや、性的なことに関して追求したいことを一旦やり切った後、私に残ったのは虚無でした。花火セットの花火を全部消費してしまった後のような感覚です。始まる前はあんなにワクワクして仕方がなかったのに、ああ終わってしまったなって、ただただそんなどうしようもない感覚だけが残りました。

もちろん私たちがやっているM性感でのプレイも、そういう刹那的な部分があることは承知しています。もしかすると、やりたいプレイをやり切った先にあるのは、燃えカスだけかもしれない、そう思うと怖くはありませんか。

ですがそんな完全燃焼した私が、心を通わせてするプレイの本当の楽しさを知ったのもM性感でした。マゾやサブの子たちが勇気を出してたくさん自己開示をして、私のためにプレイで身を差し出してくれたことで、初めて変態プレイではなく、相手に向き合いたいと思いました。

今までは激しいことや、頭のおかしくなるようなプレイを積極的にしていたけど、そんなことをしなくても相手を知った上でするプレイなら、跪かせるだけでも大変心が満たされることが分かりました。まだ出会って日が浅い人に裸になるよう命令するのと、マゾのバックグラウンドを知った上で「脱げ」と命令するのは全然違います。こんな人がいま、私の前で情けない姿を晒しているのかって思うと加虐欲を掻き立てられます。そして言葉責めなんてしなくとも、勝手に羞恥や焦りの波が増加し、それに絡めとられてマゾたちは動けなくなるようでした。

もうここまでくると、ソフトな言葉や内容でも以前の何倍もプレイが楽しくなります。相手や自分を消費することがなく、お互いを尊重し合えた状態で居られるので、精神衛生上もすごくいいなと思います。コミュニケーションは、高級食材を使わずともプレイが美味しくなるようなスパイスみたいですね。マジックソルトかな。

自分のことは勿論ですが、私とプレイを続けてくれる子たちの人生がより豊かになっていくことを心からいつも願っています。一緒に幸せになっていこうね。

男性性と私

私は男性とも女性ともお付き合いをしたことがあります。女性とは円満に付き合うし、円満に別れられるのですが、男性とはそうはいかないことが大半でした。いつもその理由は同じで、男性のプライドが折れないことが私は嫌で嫌で仕方がなかったことが原因です。

十代の頃、当時お付き合いしていた男性がセック/ス中にあまりにも無表情だったためビンタをしたことがあります。それは私がSだからとかではなく「この人は一体どうやったら感情をむき出しにして、さらけ出したセック/スができるんだろう」と私なりに真剣に考えた結果の行為でした。単純に、さらけ出さずに省エネでセック/スをしている彼のことを、私は可哀想に思い、気持ちよくなれる手伝いをしてあげたかったのです。そんな真意など到底伝わるはずもなく、彼とは長続きもしませんでした。


少し前の日記にも書きましたが、私は数年前までホルモンバランスの影響で膣前庭炎という体質でした。なのでどう頑張っても性器の接触が痛くて仕方がなかったのですが、それでもセック/スを嫌いになることはありませんでした。なぜなら私にとって性行為の目的は、身体的な快感よりも自己の解放だったからです。お互いに絶対に誰にも見せないような情けない姿を見せて、本気で興奮したり、泣いたり声を出して繋がり合う行為自体が好きだったのだと思います。

私の中には根底にこのような「他者と本気で繋がりたい」というものが常にあり、それを実現するためにSMやフェチを使っている部分があります。ですが、男性のほとんどはそれをしようとしません。

昔書きましたが、一般社会において男性はあらゆることに動じず、感情表現を抑えめにして、強く頼られるような存在であることが暗に求められている傾向にあり、そうなろうと努めようとします。

私も女の子らしさはあるので、そういう頼れる男性に惹かれる部分ももちろんあるのですが、"頼れる男性"の部分だけ見せられても私は決して満足できなかったんです。男性側としては私みたいな小動物っぽい女の子と付き合ったのだから、守ってあげなきゃとか、自分が支えてあげなきゃと思い、強い男性を演じてしまうのも当然だったと思うのですが、生憎相手が根っからの変態の女の子だったために、それではビンタをされることになってしまいました。

この経験からしばらくの間、私は男性性を嫌悪するようになり、恋人間のセック/スも大して面白く無いなと思うようになります。そこからは沢山試行錯誤をしました。男性にこの邪魔な男性性を捨てさせるにはどうしたらいいんだろうとか、よりいいセック.スにするために男性のプライドを傷つけずに誘導してあげる方法を模索し続けました。その過程で、男の子に女装をさせたり、ペニバンをしたり、赤ちゃんみたいな扱いをするプレイをしてきました。

私はプライドを捨てられる男性は本当に素敵だと思っています。これは仕事や何か熱意を持っている物事に対してのプライドではなく、女性よりも強くなければいけないという男性性への執着のことを指します。女性に頭を下げられる男性は、成長し続けられると思っているので、私はSとかMに関係なくそういう男性を好みます。

男性って不思議な生き物なんですよね。ペニスを勃起させるというあまりにも愚かな外見をし、射精をするというお漏らし行為に近いことをしているのに、なぜかペニスと射精を誇らしく思っています。ですが、そんなことを考えているようではセック.スは下手くそなままになってしまいます。

女性はかわいらしくあることを捨て、男性はプライドを捨てるほど、プレイは良いものに変わっていきます。私の昔SMを教えてくれた先生は「射精は負けることである」と言っていて、まさしくそうだなと思います。弱い自分を認めて、それを女性に受け止めてもらう行為が射精なのかもしれません。



またSMやセック.スは総じて、負けたもん勝ちです。快楽や責めに負けたほうが、快楽を貪れるんですから。昔から「せっかくSMしてるんだから、積極的に負けていけ、負けたもん勝ちだよ」ってよく口にしていました。

昔「ジェンダーと免罪符」という日記を書き、今でもブログに残しているのですが、それがMの男性に結構刺さるようで、いまでも感想のDMが私に届きます。多分この日記が色んな男性に刺さる理由は、「みんな本当は負けたいから」だと思います。弱くあることを許されたかったんですよね。

その点、女性は弱いことが当たり前に許されるわけですから、なかなか弱さを認めてもらえない男性の苦労が分からなかったりします。私には男性がプライドを捨てられない理由について性経験を通して深く考察する機会がありましたが、普通に暮らしていただけなら当たり前に「男の子なんだから、我慢しなさい」と口にしてしまっていたと思います。

変な話ですが、男性に対して不理解だったり押し付けてしまう自分に気づけたのは変態だったおかげです。これからもコミュニケーションやプレイを通して、貴方たちのことを私に教えてね。

使われる男

(サイトの仕様上で使えない単語があるため、所々修正しています)


先日仕事の帰りに終電を逃してしまったので、ついでに友達のお店に立ち寄ってから帰ることにしました。このお店は一見普通のバーですが、店主さんが実はすごく変態で数年前から御縁があります。

そのお店に行くと、偶然にも私の隣にM男性が座りました。まあとんでもないS女性が実は店主さんだったりするので、特に驚くこともありません。ただその男性となんとなくお話をしていると、私のことが好きだと言い始めました。そこで「マゾの男性との結婚はありえますか?」と聞かれたので、「もちろんあり得るよ。私、マゾの男性と結婚したらしたいことがあって、夫(マゾ)とはセック/スしないままにしておいて、貞操帯を着けさせた状態で私と他の男性とのセック/スを見せたい。それが終わったら、夫のことをペニバンで犯.すの」と正直に話すと、「僕はNTRだけはだめなんです、し/にたくなってしまう」と言われてしまいました。

そこで私が「じゃあ君はセック/スが上手なの?」と聞くと「いいえ...でも頑張ります」と返されました。

「セック/スも大して上手くなくて、私を満足させられないのに、自分とだけしかしないでくれ、だなんて君はとっても自分勝手じゃない?」と私が言うと、その方は黙ってしまいました。見てみると泣き出しそうな顔をしていたので、ここらへんでお話をするのは止めました。



私は昔から女性が男性を性的な意味で使っているシーンに大変興奮します。ペニバンはその象徴みたいなもので、初めて◯学生のときに女性が男性に腰を振ってペニバンを出し入れしている動画を見てからは、ずっと自分もしてみたいと思っていました。

その派生として、顔面騎乗で男性が一生懸命女性に奉仕しているのも好きです。女性が奉仕している男性の頭を掴んで、気持ちよくなっているシーンは最高に興奮します。

要は女性が男性を使って性的に満足している行為全般が好きなので、もちろん普通のセック/スも好きですよ。たとえ正常位であったとじても、男性に首輪をつけさせて、それを引っ張りながら指示して行為の主導権を女性が握るようなAVが好きです。


このように基本的に私の中には「女性が満足すること」が軸にあり、常に主導権を握りたいと思っています。

昔はスイッチャーだったこともあるのですが、M役をしていても結局空気を私がコントロールしてしまうので、皆さんが想像しているような健気で可愛らしいM女性になれたことは一度もありません。MであろうとSであろうと、ノーマルなセック/スだろうと、「私が主導権を握りたい」というスタンスはずっと変わらないままでした。


いまはエッチなことやペギングを使って男性に性的な意味で優位に立てるプレイができて、自分のやりたいことをまっすぐに叶えられている気がします。

男性を使いたい、言う事を聞かせたいだなんて、普通の社会では到底受け入れられないことで、端的に言えばそれはモラハラです。ですがプレイならそんなはしたない欲があることも許されるし、有り難いことにそれを喜んで受け入れてくれる子もいます。

そんな環境がいまあることを大切にしていきたいです。またいつも言っていることですが、プレイ以外ではお互いに尊重し合えている関係でありたいと常々考えています。そのほうがプレイのときにずっと興奮できますから♡

カテゴライズ

私の初体験の相手は女の子でした。それも小さくてスレンダーで、男子からよく好かれそうな可愛らしい女の子。

私達が◯学生の頃は、BLがまだテレビで取り上げはじめた頃ぐらいで、その子とは普段からBLの話をよくしていました。私達の貸し借りするBL本にはエッチな描写もあったので、必然的に性的なことも話す事が多かったです。それできちんとしたエッチな動画を見てみたいと彼女が言うので、放課後に私のPCで見ることになりました。

私はその頃、女の子がディルドでオナニーをしている動画をよく見ていたので、それを一緒に見ました。2人で見ながら、どこか自分の気持ちが高揚するのを感じ、「(ああ、もうすぐで私がいつもオナニーしているシーンがくるな)」とかそういうことを考えていたと思います。

すると彼女のほうから「むぎちゃんって、こういうことを実際にしたいと思わない?」と言われて、「う、うんまあ」と答えました。彼女は「じゃあしよう!!いいじゃん」と今までに見せたことのない積極性を見せ、私の衣服に手をかけました。「おっぱい大きいね」とかそんなことを言われた気がします。

私はエッチなことをしたい気持ちは山々だったけど、その子がスレンダーなのに対して、自分のお腹がぽっちゃりしているのが恥ずかしくて仕方がなく、無理やり脱がそうとしている彼女の手を必死に止めようとしていました。それ以降はご想像にお任せしますね。

◯学生でも、私以外にも本当は心の底でみんなエッチなことを考えているんだなと、1つ大人になった出来事でしたが、それ以降彼女とは学校でなんとなく話さなくなっていきました。そのことを思い出して何度もオナニーしたし、彼女ともっと楽しんでおけばよかったってその後何度も後悔しました。



私もそりゃあ一瞬ぐらいは「自分はレズなのかな」「バイセクシャルなのかな」って考えたことぐらいはあるのですが、結局いつも考えたって仕方がないな、時間の無駄だなと思ってやめてきました。

特に私が中高生の頃はレディー・ガガなど、海外のゲイアイコンになるようなアーティストが日本にも浸透してきた時で、セクシャリティについて明言する人が多くなっていました。なので私も自分の性的指向について、なにか"名前"をつけて分類しなければいけないような気がしていました。

ですが真剣に考えれば考えるほど「私はいまは男性が好きだけど、多分将来女性のことも好きなようなバイセクシャルになるだろうな。しかもいまは年上の男性が好きだけど、もっと年齢を重ねたら年下の人のことも好きになる。あといつかSMも始めちゃうんだろうな。できるようになったらSもやるんだろうな」という確信のようなものがありました。

だからいくらカテゴライズしたところでそれは自分の可能性を潰してしまうよう気がして、あえて自分のセクシャリティを決めないことにしました。

実際そうで、私はその後、男性のことも女性のことも好きになり、セック/スもしました。男性とする恋愛と、女性とする恋愛は全く違うのがすごく面白いなと思います。

私は自他共に認めるスケベな女ですが、恋愛において性行為を重要視したことはありません。これは自分の性癖か常軌を逸しているという自覚があったため、それを一般人に押し付けるのは酷だと思っていたからです。本当にその人のことが好きなら、セック/スができないことぐらい大した問題にはならないと思っていました。


ところで、恋愛と支配欲の違いってなんですかね。相手のことを本当に思うなら、自分ではなく他で性欲を解消してくることを認めてあげるべきだと私は考えているのですが、世間一般的にはそれは浮気とされます。

相手に満足のいく性行為を提供できないにも関わらず、自分だけのものにしたいという一般の人がいう恋愛感情はドミナントの性質を持ったSM的なものではないでしょうか。

私にとっての恋愛は相手を大切に思い、尊重することであり、支配欲はSM的なものです。一般的な人の恋愛観はあまりにもSMっぽくて、変だなと思ったりもします。



話が脱線してしまったので、カテゴライズの話に戻しますね。

私の友達にまりちゃんという面白い子がいます。とっても美人で肌もそこらへんの女性よりも綺麗な子なのですが、まじでおちんちんがデカいです。華奢で綺麗な外見からは一切想像できないような、立派なおちんちんがついています。

多分世間一般的にいうと、LGBTQのどれに入るの?とか、「私」なのか「俺」なのかとか、「いずれは本物のを女性になりたいの?」とか聞かれると思うのですが、まりちゃんはまりちゃんなんですよね。女性ものを着てオシャレをしていたほうがテンションが上がるからそうしているだけ。巨根は自分の一番の可愛い部位だって言っていました。

まりちゃんに「この前カナダでレインボーパレードがあったんだ」という話をすると「そのレインボーパレードってなに?」と聞かれました。詳しく説明すると彼女の口から「私、LGBTQとかよく分かってないんだよね」という衝撃的なことを聞きました。

そういえばまりちゃんのセック/スの相手は老若男女問わずで、性的指向は全方位だし、女性の姿をしながら自分の男らしいペニスを大変気に入っています。なのでカテゴライズしようにも、まりちゃんはまりちゃんでしかありません。それを特別明言したり主張することもなく「私は私」をそのまま生きているこの人は、純粋にすごいと思ったし、より一層カテゴライズすることの無意味さを感じました。


余談ではありますが、いつかSMをするんだろうな、女王様みたいなのになれたら、もうすっごく人生楽しいだろうなって、思春期の頃はなんとなく夢のまた夢のように考えていました。

そんなただの田舎の性癖の歪んだ子供が、こういう仕事で夢を叶えて今はとても幸せに暮らしています。多分昔の自分に会えたなら、今の自分のM性感でのお仕事を沢山自慢します。

ぜひ皆さんも色んな性癖も人も食わず嫌いをせずに挑戦してみてください。

わざわざカテゴライズをして「自分はここまで」だなんて枠を作ってしまわないで。

あなたの幸せはあなたが決めるんだよ。