むぎ茶の資料室

いままで書いてきたものを残していきます。

暴力と免罪符

あまり暗い話をするのは不本意なのですが、私は暴力と洗脳のある家庭で育ちました。悲しいことですが、中高生になるまでは悪いことをしたり、出来の悪い子は暴力を振るわれても当たり前だと本気で信じていたと思います。ですが物心ついたと同時に、そういう自分が本当に嫌いでした。

自分がされて嫌なことは相手にしちゃいけないと教わったはずなのに、誰かが暴力を振るわれて当たり前だと思い込んでいることも、癇癪を起したときに咄嗟に手が出てしまうことも嫌いで、小学二年生ぐらいの頃にはそういう暴力を振るいたい衝動に駆られる自分を抑えたくて部屋に引きこもって泣いていた記憶があります。

中高生になってからはそもそもそんなことになる機会も減り、「優しい自分でありたい」という信念がだんだんできてきて、思春期が終わるころには「暴力は何があっても絶対に許されないことである」という考えが私の中で確立されました。


SMの世界に入ると、不思議なことに暴力は当たり前にされるし、求められます。というか最初はそういうところに惹かれてのめり込んでいきました。もちろん仕事で求められることがあればやってきましたが、それでも私は「不用意に人を傷つける暴力はいけない、カッコ悪い、やりたくない」といった考えが常にありました。悪戯に人の身体を弄びたい女王様などにはどこか感情移入ができなくて、安易にM側に身体を酷使させるプレイ全般にどこか嫌悪感を抱いていました。

(ですが私もそういう悪戯に人の身体を弄ぶプレイをしていた時期もあるので、そもそもそれを批判する権利なんてどこにもないのですが)。

なので、私がマゾに痛いことや暴力に近いことを行うときは、それ相応のメリットがあるのかを特に重視します。「この子が痛い思いをして傷ついてでも、私自身は喜ぶのか」とか「二人の間のプレイでそれはそもそも必要なのか」などを考えて、そんなにメリットがないのであれば、別のプレイで満足できるのではないかなどを模索します。


私は男性同士のSMビデオが好きです。なぜならS側のペニスが勃起している状態で、鞭を振るっているからです。S側の安易な悪戯心でそれをしているのではなく、SとMに性欲という並々ならぬ理由があって、お互いに感情が向いていて、暴力を行っているからです。

きちんとおまん/こが濡れて、おちんちんが勃起するのであれば、それ相応のメリットがあるため、SMで暴力を使っていいのだという落としどころが私の中にありました。



ああ、でも書きながら気づいたのですが、結局私は「自分の性欲」を免罪符に、してはいけないことを、してもいいってことにしているだけなのかもしれません。

誰かに暴力を振るいたいだなんて、したいって言えないし、言ってはいけないことだと心の底から思っているから、そういう欲求を表に出すのは「こういう理由があって」って他者に説明できるような言い訳がないと不安なだけなのだと思います。


今日SMバーに行ったときに、とても素敵なS男性が「僕はめっきりサービスのSですよ」と仰っていて、「むぎさんもそうですよね?」と聞かれたのですが、咄嗟に「違うよ、性欲のSだよ」と答えました。自分で言うのもなんですが、非常に的を得ている回答をしたと思います。きっと私と何度もプレイを重ねてきた子だったら、私が己の性欲を中心にプレイをしていることがわかりますよね。

そのS男性はその後「僕は勃起をさせたり、射精するほうがしんどいんですよ」と仰っていました。すごく当たり前の話なのですが、そうか、みんなが私みたいに生殖器に直結する理由でSMしていないんだなって気づかされました。

でも勃起させるためでも、まん/こを濡らすためでもないSMプレイだって、確実に存在するし、あってもいいよな、否定まではしなくていいよねって自分のことを少し振り返りました。

S的行為をしているときの私の「濡れるから」という理由も、全然まっとうな理由なんかじゃないよなって、そのときに気づかされたんです。

それは自分の中で正当な理由であると思い込んで、免罪符が欲しいだけで、実際そんなものは何の理由にもなっていなくて、私が「人を苦しめたい、犯したい、言うことを聞かせたい」という自分勝手な欲求を持っている、という事実がそこにあるだけです。それに付与される理由なんて結局は後付けにしか過ぎないのだと思います。

正直、人間の元々持っている欲求に理由なんて付けようとしても意味がないですから、そんな自分勝手で汚い自分の部分を受け入れるためにも人はSMをしているのかもしれないとも思いました。そこに何らかの理由をつけているのは、そんな自分を少しでも自己受容できるようにするために咀嚼したりラッピングしているだけ。



最近マゾにお茶に誘われて「むぎさんに今日聞きたいことがあったんです」と言われました。そのときに質問されたのが、「むぎさんのいう汚いプレイってなんですか?定義みたいなものを知りたいです」といったことでした。(この数日前に私は「耽美でかっこいいSMはまだ殻を破れてない気がして、違うなと思っちゃう。もっとお互いの汚いところをすり合わせて言い訳ができないようなプレイが好きでしたい。」といった内容をポストしていました)

そのときはとても抽象的な答え方しかできなかったのですが、多分"その汚いもの"って、このことだと思います。誰しもが持っている自分勝手で汚い部分のことで、一般的社会では受け入れられないものです。私の例でいうと「人を苦しめたい、犯したい、言うことを聞かせたい」がそれにあたると思います。


今日はお出かけをしたことで、たくさんこういうことを考える機会を持てました。マゾとお話したり、どこかにお出かけするのは、これだからいつも楽しいなと思います。