むぎ茶の資料室

いままで書いてきたものを残していきます。

あなただから

ふと今日のプレイでは、私の手でマゾに貞操帯を装着してあげたくなりました。そこでマゾに貞操帯を装着してくるのではなく、持参してくるように事前に言い渡しました。

実は数ヶ月前にも貞操帯を着けようとしたのですが、どうしても私に会うと勃起をしてしまうため装着を断念したことがありました。その際にも金蹴りやビンタをして萎えさせようとしたのですが、マゾの興奮を誘うばかりでダメでした。なので今回は事前に氷を用意してホテルに向かいました。

面白いことに、マゾ自身も同じことを考えていたようで、氷水の入ったジップロックがちょこんとお部屋の棚に横たわっていました。私も氷を同じような袋に入れて持参したため、2人でそれを眺めては「いつも私たち考えていることが一緒だね」と笑い合いました。

そして案の定、マゾは私が貞操帯を着けようとすると勃起が収まらなくなりました。持参した氷水でペニスを何度も冷やしましたが、状況はあまり変わりませんでした。

これは最終手段だったのですが、マゾの家族の名前を出しても無理でした。もうこうなってしまうと物理的にも精神的にも萎えさせるための術が一つもなくなってしまい、2人で困りました。風俗に来ているのにおちんちんを萎えさせることに躍起になっているなんて、いま思うとおかしな話ですね。

この子の貞操帯のついていない状態のペニスをしっかりと触ってあげることも今まで無かったし、今日ぐらいはいいかと触ってあげることにしました。貞操帯も着けられない発情したクソマゾですが、まあいいでしょうと、手加減しながら手コキしてみましたが、やっぱり私は加虐行為以外にも与えることも大好きなので、それはそれで興奮しました。

そういえばこの子の射精をしばらく見ていません。彼は手コキでイキづらいのですが、そのくせにペニバンでセッ/クスすると1分もかからないうちにアナルでイッてしまうマゾになってしまいました。


また今日私が驚いたことがあって、マゾの一人称が普段は「俺」だという点です。

少し前のプレイでこの子が急に「これからはむぎさんの前では一人称は『私』にしようと思うんです」と自分から言い出したので、本格的に男性性を手放していくんだな、ああじゃあもう本当にこれからペニスは一切無視してもいいのかも、なんてぼんやり考えていました。

私は"私が男性から男性性を取り上げる行為"が好きなのであって、献上されたものにはそんなに興味が無かったようで、その話はふ〜んと聞き流しました。

そもそもこの子の一人称は私の前ではずっと「僕」でした。なのに今日「俺」が出たのは、私の前で気を許しすぎて、つい普段の姿が出てしまったとのことです。

一人称が「俺」であるような男性性をしっかりと持っていたはずなのに、ペニスに対する執着を手放すように調教され、アナルで容易くイくような身体になってしまったという事実に胸が踊りました。


一方で私の方も、この子と出会って本当に変わりました。衝撃的だったのですが、出会ってすぐの頃の私はマゾから「SMをそんなにやっていて、飽きたりしませんか」と聞かれて、間髪入れずに「飽きてるよ」と言い放ったそうです。当時はやりたいプレイをやり尽くし、商業的なSMやプレイに心を動かされなくなって、苦水を飲んでいた時期だったように思います。

なのにいま「SMすっごく楽しいね」と終わった後に笑顔で言えるのは、この子のお陰です。


マゾと少し前に緊縛ショーを見ながらなんとなく「君は縄で縛られるのは好き?」と聞くと、「うーん、あんまりですね」と言われ「私もだよ、拘束具のほうが好きかも」なんて答えていたのに、なぜか今回は急に縛りたくなりました。

他人に頼まれるのではなく、自分からそう思ったのは、縛りを教わってたとき以来です。前日ぐらいから、ぎちぎちに縛って、後手でぷっくりと胸の張ったマゾの身体を虐めたいと思っていました。

ですがこの子の身体に跡が残りやすいことは重々承知だったので、この後のマゾの予定を聞いて、時間がいつもより空いているようだったので、ロープとの間にタオルをかませながら縛りました。

前述したようにお互いに緊縛行為に興味が無かったはずなのに、縛りたいと思い、縛られて恍惚な顔をさせてるのって不思議ですよね。


私は「何をやるかではなく、誰とやるかが大切」ということを、この子とのプレイで学んできました。


前回のプレイ後の休憩中にマゾが「僕って、マゾなんですかね、今でもわからないんです」と言ってきたことを思い出しました。

そのときはきちんとした回答をしてあげられなかったのですが、今日「僕むぎさんのマゾになりたいです。これから『むぎさんのマゾです』って言っていいですか?」と聞かれて、許可を与えるとすごく安堵したような吐息を吐いている様子を見て、ああ、この子はただマゾなんじゃなくって、私のマゾなんだなって気づきました。

マゾヒスティックな行為自体を好いているのではなくて、それを好きな誰かに貰うことが好きな変態なんだなって。そう考えると、身体の隅まで温かい水で満たされたような心地よい感覚がしました。


誰に虐められるのでもいいわけじゃない、逆に誰の主人にでもなりたいわけでもない。この人だから与えたいし、与えられたいと思える人がいるのって尊いことだと思います。どんな物の価値にも変えられないものです。これからも大切にしていきたいです♡