むぎ茶の資料室

いままで書いてきたものを残していきます。

反芻する心地よさ

皆さんは同じ映画を何度も鑑賞したりすることはありますか?

私は物心のつく前からずっとそうだったみたいで、気に入ったものは本当に何度も何度も繰り返し鑑賞します。初見で大変感動したときには漠然とした衝撃を受けるだけですが、2回目以降はその細部のシーンやフレーズを思い出し、咀嚼して楽しみます。

これは大人になってできるようになったことですが、1人で映画を観に行って感動したら、次の回も続けて見たり、次の日にまた同じ映画を観に映画館へ足を運びます。

ミュージカルやオペラ、クラシック音楽も好きです。どこかの劇団のすごい追っかけをしていたりするわけではないのですが、何度も公演されてきた作品というのは誰もが筋書きを知っています。その上で演奏を楽しむという行為全般がとても私には合っていて好きです。

なのでどちらかというと、ミュージカルや演奏は動画で何度も見直して楽しむことがほとんどです。もちろん生の迫力には劣るのですが、落ち着いて自分のテリトリーで何度も鑑賞し返すのは、私にとって心が安らぐ時間だったりします。

当然ですが、少し前から私は小学生の頃からの幼馴染とシェアハウスを始めました。もうずっとこの年齢になるまで映画やミュージカル、音楽を一緒に楽しんで過ごしてきたので、何度も同じフレーズを歌ったり「この映画にはシーンあったよね」と言い合っています。この子はフルート奏者なので、私が勉強している横でオーケストラの演奏をYoutubeで流しながら練習していることも多いです。それで一層私も色んな曲を覚えていくので、クラシックの話をすることも増えました。

こういう時間が楽しくて仕方がありません。楽器を使うこともあって、とても物件探しが難しいシェアハウスでしたが、もう数年前からずっと一緒に暮らすことを計画していました。苦労してでも叶えて良かったなと思っています。

友達と暮らすことで私の訛りが一生抜けないどころか、酷くなっていくばかりですが、プレイ中はみんな頑張って聞き取ってくださいね。



私が好きになったものを何度も楽しむのは、人との関係も一緒だったりします。基本的に会えば会うほど、その人のことを一層好きになっていってしまいます。

家に帰っても動画でマゾの言動を見返しては、可愛いなと思ったり、興奮したり、励まされたりしますし、動画が無くてもプレイをした人とのことを思い出してオナニーすることもよくあります。

何度会っても本当に幸せそうに私とプレイをしてくれる貴方のことが好きだし、二人で新しい快楽を一緒に知っていくことができるのを尊く感じます。


先日、「哀れなるものたち」という映画を鑑賞しました。ネタバレは避けますが、この映画に出てくる主人公は色んな経験を経てわずか数年で赤子のような様子から、哲学や医学を身につけていきあっという間に成長していきます。

それを見て、ああ人間って本来こんなものなのかもしれないと思いました。何歳になっても、人と人が出会い影響し合うことで、内面性は変化していくのではないかと。

映画は寓話だったので、とても早いスピードで人が変化していく様子が描かれていましたが、プレイ中に私の前で変わっていく男性の姿も一緒だと思います。たった数ヶ月で私色に染まり、こちらがドキドキさせられるようなマゾ性を私に向けてくるようになっていくのですから。


私はフェチプレイやSMも、作品と同じように嗜んでいるのかもしれません。

友達からこの前「むぎは基本的に同じものを食べるし、同じような部屋の内装にするよね。でもそれは変化を嫌っているわけではなくて、自分にとって心地の良いものを揃えているだけで、いい意味でも悪い意味でも、むぎは快楽主義者なんだよ」と言われました。



随分昔に本で見た言葉で心に残っているものがあるので引用したいと思います。

(尚、本引用について特定の宗教若しくは団体との関係を示唆するものでは一切ありません)

「神よ、変えることのできるものについて、
それを変えるだけの勇気をわれらに与えたまえ。変えることのできないものについては、それを受けいれるだけの冷静さを与えたまえ。

そして、変えることのできるものと、変えることのできないものとを、識別する知恵を与えたまえ。」(ニーバーの祈り)


これはもしかしたら私に足りないものだから、ずっと憶えているフレーズなのかもしれません。

心地の良いものを繰り返し、大切にするのは幸せなことだと十分に知っているけれど、貴方と冒険したいという考えも常々持っています。

ニーバーの言う冷静さのある賢者からはかけ離れてしまいますが、私と貴方でならそれでも怖くないかもしれません。
もっと踏み込んで、一緒にドロドロに堕ちたい。

気持ちいいのその先まで、私が連れて行ってあげるから着いてきて♡