むぎ茶の資料室

いままで書いてきたものを残していきます。

"いい子"でいること

私はいわゆる"いい子"だと思います。それは長女だったからなのか、お母さんが病気だったからなのかはわかりません。でも他人に優しくできる自分でいることが、いまでも私の自己肯定感に繋がっています。

そうはいってもいい子というのは、社会規範に沿った周りの人にとって都合のいい存在である側面もあり、四六時中ストレスに晒されることにもなります。心当たりのある方は多いのではないでしょうか。


高校生の頃にSMの掲示板やブログを漁っていたとき、私はあることに気づきます。

M女性は看護師や保育士といった職業の方が多く、さらには弁護士の女性などいわゆるエリート寄りの方は痛みなどの過激なプレイを欲する姿を何度か見てきました。(男性主体の世界なので、そういう設定だっただけなのかもしれません)

それを見て、いい子でいればいるほど非日常的なプレイをしたときに気持ちよくなれることに気づきました。だから高校生活ではずっと委員長を務め、部活や課外活動も全力で行うことができました。全ては誰も知らない一人遊びのときの興奮のためです。

大人になって男性を責めるようになってからも、いい子でいた反動が役に立ちました。絶対に普段の私であれば人を叩いたり、嘲笑ったりすることなんてないのに、それをさせてもらえると心から充実感を味わうことができました。


いい子ちゃんも意外と楽しいものです。なにかに熱中し、学び続け、誰かに感謝されている瞬間はとても気持ちいいもので、そんなに悪い気はしません。溜まっていくストレスだけがネックなので、それをうまく発散できるかどうかが、自身を消耗してしまうか、楽しく人生を謳歌できるかどうかの分かれ道になるのだと思います。


どうかいま頑張っている人は、それをプレイの糧にしてください。いい子ちゃんでいないと、むしろ素敵なプレイは体験できないのではないでしょうか。日常と非日常的の境目を超える瞬間や、その振れ幅をたくさん楽しみましょう。