皆さんはプレイが終わったあとのルーティーンのようなものはありますか。
私はつらいプレイのあとは、必ず頑張ったねって抱きしめてあげたくなります。
素人でSMプレイをしていた頃、M女性の方にプレイをお願いされることがたまにあって、いっぱい泣かせたあとに抱きしめてあげると、すごくスッキリして、子どものように可愛らしくて、落ち着いた顔で私に身を預けてくれました。
当時の私はまだ加虐をすることで、今みたいにおまん.こが濡れるわけでは無かったので、虐めたり苦痛を与えることは、その前戯のようなものだと思っていました。
安心して私に身を預けられるようになるための、心を解してあげる作業として、縛ったり叩いたり、首を絞めるといったことを用いました。
たまに行き場のなくなったどうしようもない感情を処理をするために、人は自分の心に工夫をしようとします。もう傷つかないように土砂を固め始めるのですが、たくさん傷つき続けるようなことがあると次第にその修復作業も追いつかなくなって、結局水も漏れてしまうような歪なダムが形成されます。
そうなると、どこから手を付けたら正しい水の流れに戻るのか本人にも分かりません。Mが幸せになれるように、Sはあえてそのダムを一旦全部壊したりもします。そして今度は、またいちから水が正しく流れるように感情の行き先を2人で見つけていきます。
私はこういう根底に「幸せになってほしい」という感情を持ったもの同士のSMやプレイって、素敵だと思っています。みんなもそれを知っているから、エゴマゾやエゴサドは、嫌われてしまうのでしょうね。
いまはもうそんな治療みたいなSMは全然しなくなったのですが、それでも辛いプレイをしたあとは抱きしめて「よく頑張ったね」ってしてあげたくなります。ちょっとうざいなと思っても、どうかこの私のエゴを受け取ってください。
処理できない感情の一端をSMで解消することが間違っているとは言えませんが、そうするときには手段と目的を間違えないでくださいね。
自分の傷を増やすためにSMはしないでください。もし増やしたとしても、最後はケアをしてくれる人を選んで下さい。そもそもそんなSMが必要なこと自体が、世の中から減るといいですね。
心の曇りが無くなって、純粋な気持ちで相手と対峙するSMはとても楽しいです。それはフェチも変態プレイも一緒です。綺麗事かもしれませんが、私は相手の幸せを願いながらプレイをしていたいです。
プレイを通じて、みなさんの人生がより良いものになりますように。