むぎ茶の資料室

いままで書いてきたものを残していきます。

コントロール

いままであまり認めたくはなかったけど、私は男性をコントロールしたいと思っている節があります。


その方法はいろいろあって、私の気分を害する発言をしたときにお仕置きをして矯正していくのでも、おちんちんを握って私が射精のタイミングをすべて決めるのでも構いません。写メ日記やTwitterに時折触れてきた、デートをした後に男の子をアナルや乳首を通して調教してきたエピソードはその片鱗でした。

ですが私自身、人から何かを強制されたり操られることを嫌うので、それを他人に押し付けるのはいけないことだと思い、男性に言うことを聞かせようとする自分を抑えようともしていました。表面上のプレイでは「ほら自由に自己表現しな」と伝えたり、決して否定したり誘導する言葉を使わないことを心掛け、あくまでM側のしたいことを叶えるお手伝いをする仕事だと考えていました。

これは変な話、矛盾しているのですが、そのような「他人をコントロールしたくない」という自分の心の壁をどこかのタイミングで克服しなければいけないとも思っていました。(4/14の写メ日記「脳イキの応用」)



最近マゾとのプレイを通じて、汚い自分が滲み出てくるのを感じていました。それを一番はじめに自覚したのは、おちんちんに電流を流したとき。マゾに電流を流すリモコンを握っているというその外観が、一層相手の生殺与奪の権利を握っている気にさせてくれて、マゾの表情をたくさん眺めながら楽しめました。

あとは唾液と、その匂いだけで射精させたときにも同じような感覚に陥りました。唾液とその匂いで、相手をたくさんコントロールできることがすごく楽しかったです。彼はあまりにも私の与えるものを欲する目をするので、「私の沼に自分からズブズブ入ってきて、なにしてるの?」と私が本気で聞くと「もっと落としてください」と返答されました。

電流にしろ、唾液にしろ、私にそのキーアイテムを預けてくれて握らせてくれることが可愛いところです。



プレイを通じて、私の嫌いな自分を自己受容させてくれて、克服させてくれてありがとうって思うんです。あなたが受け入れてくれるから、私はその嫌いな自分を肯定することまではできなくとも、居てもいいんだと存在を認めることができました。

普段の生活で「男性をコントロールしたい」と思ったとしても、もちろんするべきではありません。人はみんな対等で、自然人には人権があります。社会的には決して受け入れられるべきではない欲なのですが、プレイ中だけはそれを許してもらえます。

誰かをコントロールするのはプレイ中だけで充分です。プレイの時間以外は、普通にたくさん私生活や趣味嗜好の話を聞きたいし、尊重し合えるような関係が好きです。相手のことを知れば知るほど、プレイになった途端の背徳感が増して興奮できるので、たくさん会話も重ねたいです。この幸せな時間を大切にしていきましょうね。