むぎ茶の資料室

いままで書いてきたものを残していきます。

操られる者

私はスイッチャーなんだろうけど、マゾではないんだよな~って最近よく考えることがあります。性的探究心が他の人の何倍もあるから、身体の使い方が上手になって痛みを快楽に変えられるようになっただけで、いつだってプレイの主導権は私にありたいから、M役を努めたとしても空気をコントロールしてしまうから大して可愛くはなれません。

マゾという生き物に触れると、私は全然違う生き物だということを思い知らされます。マゾってそこらへんの挙動がもっとも可愛い生き物ですからね。

私は自分でコントロールできないものが怖いので、拘束系のプレイを受けることはできないし、嘔吐もできないし、通勤快速が苦手です。

「私が欲しいから、選んだ」という過程と実感が必要なので、ギャンブルにハマることはないし、お酒で自分がコントロールできなくなるのが嫌なので一切飲みません。ですが研究やゲーム、何かを書いたりするのは好きです。自分の意思で頭のネジを飛ばすようなプレイも好き。すべて自分の力で積み上げ、手に入れたものでないと、気が済まないたちなのかもしれません。


変な話なんですけど、そんな私でも結局はマゾという生き物に操られているのだと思います。

私にはなかったフェチやプレイを持ってきては、求めて、もっと沼にハメさせようとしてきます。それは決して要求という形でそうするのではなく、選ぶ言葉や表情、身体の反応をもってして私の加虐性を煽ってきます。これが私にはないマゾの可愛い部分です。私が鞭を持っているだけで、貴方たちが振らせているのではないでしょうか。

これは最近知った感情なのですが、私はそんなマゾに煽られている状況にイライラしたりします。悪い意味ではありません。ほら同人誌で流行っている「ちんちんがイライラする」というやつと一緒です。「いつもしっかりしているのに、素敵な男性なのに、なぜ私の前ではこんなに途端に情けなくなってしまうの」って問いかけたくなってしまうし、その度により一層立場を落としてあげたいし、虐めたくなります。


例えSMという関係じゃなくても、痴女プレイでもフェチプレイでもその関係は成り立ちます。手段が違うだけで、本気でプレイを楽しもうとすると、責め手が煽られて手を出すという逆転現象が起きます。

こんなに揺さぶられるような楽しいプレイを経験できて、私は幸せです。最初はただ「ありとあらゆるプレイを経験したい。全部できるようになりたい」という漠然とした想いでお仕事を始めたのですが、それ以上に素晴らしい経験を私はお店でさせて頂いています。

これからも精進するので、たくさんいけないことを想像していやらしいことを考えて、私に会いに来てください。お互いに知らなかった世界を見つけていきましょうね♡