むぎ茶の資料室

いままで書いてきたものを残していきます。

私と彼女とマゾ

(これは2023年8月25日に書いた日記です)

シャワーから上がってほっこりしているむぎです。思いのほか予定が早く終わり、半日何もない日が久々にきて感動しております。頭皮から足先までスクラブして、髪を乾かしても時間が余っているなんて幸せなことですね。いつもならこういう時間は勉強するのですが、椅子のせいで腰を悪くする日が続いたので、新しい椅子が明日到着するまでとりあえずお休みすることになりました。

8月は怒涛の月だったように思います。引っ越しの準備と、SMのお仕事で予定がギチギチでした。

今日は私がはじめて出会い、ずっと仲良くしてくださっているミストレスとご飯を食べてきました。

この方は多分生まれながらにしてミストレス気質で、いまもそう感じています。初めて出会った日のことをよく覚えています。彼女が後ろを向いた際に綺麗で巨大なお尻が私の目に映り、そのときに「ああこういう人に虐められるM男は幸せだろうな」と素直に思いました。

失礼ながら最初は外見からそう感じましたが、色んな会話や一緒に過ごす時間を重ねるほど、彼女が生まれながらにしてミストレスだという印象は揺るぎませんでした。


こういうS女性やマゾやサブと出会うほど同じ人間でも、私とはまた違う人種なんだなということを思い知らされます。みんな色濃い個性があって素敵ですね。長生きしてね。


私がSM関係のお仕事を一つ畳むので、その節目として一度食事に行こうということになりました。彼女は一流のミストレスだと勝手に私は思っているのですが、一癖も二癖もあるし、人の好き嫌いも激しい方です。そんな方がずっと仲良くし続けてくださり、旅行を共にしてもらったりして、とてもありがたく思っています。

なぜそんなにずっと仲良くしてくださっているのかを聞くと「私は変態といると息ができるの。だからむぎちゃんが好き。変態だから。」と言われました。


プライベートで食事に行っても、結局はマゾたちの話をしてしまいます。このマゾに出会って自分はこう変わったとか、この子がこうでね、とかそんなことばかり。

その中で私たちの見解として一致したのは「いいマゾたちに出会えてよかった」ということです。本当にこれに尽きます。このミストレスのマゾは大変ご高齢だそうで、無邪気で残酷な彼女の一面をセーブしたり、受け入れたりしているようでした。彼女のマゾになるのは、こういう人なんだなと変に一人で納得してしまいました。


私たちは恵まれています。金銭的な意味ではなく、人に恵まれているという意味です。

前回の日記にも書きましたが普通の社会って少々窮屈ですよね。他人と一線が引けなかったり、逆に引きすぎては知らず知らずのうちに壁を作ってしまったり、そんなことの繰り返しです。


私はドミナントでいることがすごくしっくりきます。自分の性自認と着ている服が一致しているように、「こうありたい」という自分で居られます。他者の世話をしたいし、コントロールしたいと常々心の奥底で思っているのを、損得勘定にかけずともそのままできるからです。

それを引き出せたのはマゾの存在のおかげです。時には醜くもある私の中の「本当はこうありたい」をたくさん引き出して自己受容させてくれました。M性感をしてなければそれに気づけないまま、どこかで生きづらさを感じながら、残りの人生を歩んでいたかもしれません。


有難いなと思います。こうして幸せな形で一つお仕事を終えられて何よりです。

そもそも私がSMのお仕事を削ろうと思ったのは、プレイは何をするかではなく、誰とやるかが大切だということをマゾに教えられたからです。

そういえば彼女も今日同じようなことを言っていました。ご高齢のマゾとのプレイが終われば、一旦ご隠居されるそうです。これ以上楽しいプレイを探したい、やりたいと思わなくなってしまったと零されていました。どうか残りの二人のお時間を幸せにお過ごしください。


なんだか印象深かった出来事なので、書き留めたくなりました。


そんなこんなでひと段落し9月は予定が空いているので、何度もチャレンジして問い合わせてくださっている方もご予約取っていただけるかと思います。来月もよろしくお願いします。

皆さんもお身体ご自愛ください♡