むぎ茶の資料室

いままで書いてきたものを残していきます。

私の性事情とマゾ

私が根っからの変態だということはもう周知の事実だと思いますが、私のような変態は性的なことに対する探求心が人一倍あります。今までも本気でセック/スやオナニーと向き合ってきました(「求めよさらば与えられん」日記を参照)。

オーガズムや性機能に関する講習に足を運んで、その場で学んだことを数日かけて言語化し、自分の中で落とし込めるまでああでもないこうでもないとプレイを通じて模索してきました。

一番大事だったなと今になって思うのは、当時の相手の人たちと楽しんだ後に必ずフィートバックをしてきたことです。どこが痛かったとか、もっとこうすればいいとかはもちろん共有するし、他の人とするときはどう違ったかまで教え合います。ひどい時にはオナニーの時でさえ、そういうフィートバックを書いて個人的に記録してきました。

結局は地道にコツコツと諦めずに重ねてきたことがいまに繋がっています。「大事なことは〜が教えてくれた」なんていうキャッチコピーがありますが、私はそれを性体験で学んだのかもしれません。

そうやって努力をしてきたという自負もあり、最高の性体験をしてきた自信だけは人一倍あります。


ある日、私がSNSでNTR好きの方のために「最高に気持ちいいセック/スを昨日4回してきたよ」って呟いたら、マゾが「むぎさん昨日4回も...羨ましいです」と言ってきました。

さっき言ったように、性体験に関する自信だけは過剰な私は、そんなマゾに対し「はあ」と呆れて言い放ちました。それから「そんなマゾのイチモツで私が満足すると思うの?」とその子のペニスを眺めながら付け足すと、素で見下されたマゾは何故か喜んでいてとても面白かったです。


私からマゾへのお誘いはもちろんペニバン一択でしかないことは常々躾けてきているので、私から「セック/スしよ?」と言われるということはつまり、マゾたちが犯されることを意味しているのですが、それでも私に誘われるとすごく嬉しそうにしていてとても可愛いなと思います。

もう普通の男女の関係にはないルールが当たり前に敷かれているのにも関わらず、お互いに"それがいい"と求め合えることって素敵ですよね。



「マゾとセック/スするのはありですか?」という核心めいた質問に先に答えておきたいなとずっと思っていました。

もし私がマゾとセック/スする日が来るとするならば、それは死ぬほどつらい経験をさせてからだと思います。

泣いても泣いても、拭いきれないようなつらい経験をプレイでさせてからじゃないと、ただマゾとセック/スするなんて面白くないじゃないですか。絶対に勿体ないです。

人によりますが、セック/スの相手は異性ならいいというボーダーラインが一応ありますけど、マゾと私の関係というのは唯一無二ですからね。一般の男女関係よりもある意味貴重なもので、それを生かすも殺/すも私の裁量であると思うので、そんなただの性欲なんて安直なもので売り渡すことは決してありません。

それに、マゾは無駄なことを考えてないで、頭空っぽにして大人しく私に抱かれてろって思います♡